NEO JAPONISM、MIGMA SHELTER、RAY それぞれの配信ライブで見た「自粛期間に爪を研ぐ」ということ|「偶像音楽 斯斯然然」第35回
冬将軍
音楽ものかき
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これはロックバンドの制作&マネジメントを長年経験してきた人間が、ロック視点でアイドルの音楽を好き勝手に語る、ロック好きによるロック好きのためのアイドル深読みコラム連載である(隔週土曜日更新)。
思うようにライブができない昨今、多くのグループが手探りで試行錯誤しながら独自の配信を行なう光景が日常となった。と同時に今までどおりの活動ができないからこそ、アイディアや事務所、運営のマネジメント力と発想力、何よりもグループとしての本懐が問われているような気がしている。“爪を研いでいるか?”、この時期の使い方が今後の活動に大きく影響を及ぼすことは目にも明らかだ。
ライブとは演者とオーディエンスが一体となって作り上げていくもの。そう考えれば、無観客ライブとは未完成なものなのかもしれない。しかし、だからこそ演者が己のスキルを冷静に鑑みることができる場にもなる。お決まりのコールも歓声もないからこそ、それをイメージして、自分の中でライブを組み立てながら実践していく。逆に考えれば、通常のライブはオーディエンス頼みの、その場の雰囲気に飲まれて勢い任せにもなり、細かいところが疎かになってしまう危険性もあるわけだ。丁寧な歌唱に向き合うという面では、無観客ライブを行なうのは演者にとって、いい機会なのかもしれない。
そんな中で、興味深い活動をしているのがNEO JAPONISMだ。世の中が自粛期間に入る直前にたまたまイベントでライブを観て衝撃を受けたグループであり、その様子は過去にこの連載でも触れている。まさにこの自粛期間中に爪を研ぎ、大きく成長を遂げたグループだと思う。
NEO JAPONISM 自粛期間に爪と牙を研ぎ澄ます
NEO JAPONISMは先日、7月11日に約4ヵ月振りとなる有観客ライブ<again>を開催した。演者、ファンとともに久方ぶりに熱を帯びた空間を共有し、素晴らしいライブになったことは言うまでもないが、ソーシャルディスタンスをはじめとした施策、特にフェイスシールドをロゴ入りのオリジナルグッズとしてチケットとセット販売し、全員着用ライブという試みは面白かった。誰も文句を言わずに開演前の暗がりのフロアで観客皆が黙々とフェイスシールドを組み立てる光景はなんだかおかしくも愛おしく見えた。フェイスシールドに抵抗を持つ界隈もあるようだが、こういう施策に面白がって乗っかっていくのはアイドルシーンならではのノリの良さであるし、運営側とファンとの間に信頼がないと成立しない部分でもある。ちなみにフェイスシールドを装着してのライブ観戦は、思いの外視界性もよく、それほど気にはならなかった。
さて、遡って4月初頭、ライブができない期間となった状況下で、新体制初となる音源『NON-CALL NOW』を急遽ストリーミング配信するという、フットワークの軽さを見せたNEO JAPONISM。しかし、それだけに収まらなかった。4月5日に無観客配信ライブを行なった。今や珍しくない配信ライブだが、この時点で行なっているグループはほぼいなかった。それから日曜日の午後3時という絶妙な時間に配信される“#家ジャポニズム”は毎週恒例となり、回を重ねるごとにカメラワークも音響もパワーアップしていった。そして、それに合わせるかのようにメンバー本人たちのパフォーマンス力も着実に上がっていったのだ。6月になる頃には、4月頭にリリースした『NON-CALL NOW』のボーカルトラックが古く感じるほどになっていたのは気のせいではなかった。
NEO JAPONISM / 無観客配信ライブ - gain - 2020/7/5
先述のような無観客だからこそのメリットもあるだろう。毎週ライブを重ねていくことによってそれは確固たるものになっていったように思う。生配信でなかったこともよかったのかもしれない。ファンと同じタイミングで自分たちのステージを見返すことができる、チャットやコメントでリアルにファンの声も知ることができるわけで、このことが次のステージに繋がっていったのかもしれない。……と、こうした諸々は私の憶測に過ぎず、そうした意図があったのかどうかはわからないのだが、結果的にメンバーのスキルアップになったことは間違いない。それはこの度、SNSでのフォロワーを増やすことを目的とした“BLACK CAMPAIGN”のミッションを達成し、リリースを決めた1st&2ndアルバム『HERE NOW』『OVER TIME』という2作品がそれを色濃く表している。
この2枚のアルバムは、旧体制の既存曲を現体制の楽曲としてアップデート、リファインしたものだ。『HERE NOW』はエッジィに攻めた楽曲を、『OVER TIME』には歌モノ要素の強い楽曲が収められており、“静と動”、“柔よく剛を制す”といったグループの二面性を体現している。『NON-CALL NOW』の新曲群と比べると、ポップな要素も強いが、そのぶん格段にスキルアップした歌唱力と表現力が充分に堪能できる仕上がりになっている。
NEO JAPONISMは5人全員が各々の役割を持った歌えるメンバーであるが、中でもグループのカラーである“強さ”を象徴しているのが、聴く者をねじ伏せていく強堅さを持つ滝沢ひなのと、しなやかに魅せていく辰巳さやかの2人だ。この2人の安定感はより増しているものの、この対照的なボーカルスタイルの両翼の狭間を、ガシガシと突き刺さしてくるようになったのが福田みゆだ。そのエッジの効いた鋭い歌声は徐々に研ぎ澄まされていき、日に日に存在感が増していった。それはこのアルバムにもよく現れている。歌い上げを得意とする滝沢、辰巳に対し、隙を突いてズバッと攻め入ってくる福田の歌は気持ちよくキマり、時に「MY HOPE」などで見せる中低域のクールな響きはグループの特性を大きく差配するものとなっている。
旧体制時代のライブを何度か観たことあるが、申し訳ないのだが正直あまり印象に残っていない。しかしながら改めて旧体制楽曲を聴き、いい曲しか存在していないことを思い知らされた。毎週セットリストを変えてくる配信ライブで、いわゆる“鉄板曲”、“定番曲”がないことに気づく。どの楽曲も強度が高く、いろんな攻め方ができる。そう思っていた矢先の既存曲アルバムのリリースであったがゆえ、“待ってました!”と膝を叩いた。
『NON-CALL NOW』が豪快な楽器の鳴らし方でダイナミックレンジを広めに取った洋楽的な音像に仕上げられているのに対し、今回の新作2枚はソリッドなギターと緻密なアレンジを軸に、ボーカルを前面に出したミキシングも相まって日本的で繊細な聴き心地になっていることも特筆したいところだ。ボーカルがグッと前に出てきたのはメンバー各々のスキルが上がったこともあるだろうが、作品に合わせた丁寧な音作りがなされている点は制作チームの秀逸さが垣間見える部分でもある。
以前、『NON-CALL NOW』をMUCCやMERRYなどのV-ROCKファンにも勧めたいと評したが、今回の『HERE NOW』『OVER TIME』はもっと前のバンド、Zi:KILLやcali≠gari好きにも勧めたい作品だ。疾走感とキメを合わせた緩急のついた楽曲展開と慟哭性のある高低差の大きいメロディ、そこに寄り添いながらも刺激的でソリッドなサウンドプロダクトは、どこかヴィジュアル系黎明期のバンドを彷彿とさせるからだ。加えて歌詞も良い。韻を踏んだ言葉遊びであったり、退廃的で焦燥感を弄るような詞の世界感であったり。メロディに対する言葉の置き方、選び方もグッとくる。
「手を伸ばして触れた希望は擦り抜けて ただ正論の中薄まり消えた」——LOSER
こんな詞を女性ボーカルで聴いてみたかったのだ。サウンドプロデューサー・Saya恐るべし。
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