NEO JAPONISM 辰巳さやか[インタビュー前編]表現者としての13年の道程と誇り「私がNEO JAPONISMに還元できることは、ダンスであり、魅せること」 NEO JAPONISM辰巳さやかインタビュー前編
Pop'n'Roll 編集部
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“闘う”をコンセプトに活動する5人組ガールズグループNEO JAPONISM。圧倒的な高さを誇る音楽性と、決して揺るがない強固な意志が込められたパフォーマンスにより、現在のアイドルシーンの中で唯一無二の存在感を放っている。今回、そんなNEO JAPONISMの辰巳さやかのソロインタビューを実施。前編となる今回は、小学生から始めた芸能活動、NEO JAPONISM加入のいきさつ、メンバーとの関係性、コロナ禍での激闘について、じっくり語ってもらった。
インタビュー:冬将軍
撮影:曽我美芽
小学校の卒業文集には“歌って踊れるアーティストになりたい”と書きました
——先日の生誕イベント(<辰巳さやか生誕記念イベント“子丑寅卯辰me!”> 2020年1月8日/duo MUSIC EXCHANGE)のMCでも話していましたが、芸能歴13年になるんですよね。
辰巳:
小学校4年生からなので、13年になります。最初は事務所に入って、先輩アーティストの前座だったり、バックをやったりしていて。高校生の時からアイドルとして活動し始めました。
——事務所に入るきっかけは何だったのですか?
辰巳:
幼稚園の頃、ミニモニ。や安室(奈美恵)ちゃんが流行っていて。“可愛いな”というノリでダンスを幼稚園の年中から始めて、小学校2年生からヒップホップ、キッズダンスの道に入りました。『ダンス・スタイル・キッズ』というキッズダンスの雑誌をよく読んでいたんですけど、そこにアーティストのバックダンサーのオーディションが出ていて。小学校4年生の時に初めてオーディションというものを受けました。3次審査までは行けて、最終的には落ちてしまったけど、“うちでタレントとして育成をしていこうと思うんですけど、どうですか?”という連絡が来たんです。歌を歌ったこともないし自信もなかったけど、ダンスを踊れたらいいやというテンションで、とりあえずやってみようかなと思ったのがきっかけです。そこからレッスンの毎日。ダンスはもちろん、ボーカルレッスンもあったし、歌って踊るレッスン、タレントレッスン、空手のレッスンも、いろいろありました。中学1年生くらいからはアクロバットを取り入れたり。
——「ロボトミーランド」でお馴染みの、あのアクロバットはそこで培ったわけですね。最初はダンサー志望だったのですか?
辰巳:
そうですね。でも、ダンサーでもないかな。バックダンサーをやってみたい、誰かの後ろで踊ってみたいというのが漠然とあって。それでオーディションを受けました。でも、受けたことが記念になればいいという感じだったんで、そこからプロのダンサーになりたいとは思ってなかったです。入って、楽しかったらやればいいし、という軽い気持ちだったから受けられたのかもしれないです。
——さまざまなレッスンを受けながらのタレント育成は、どうでしたか?
辰巳:
ダンスは楽しくて踊ってるだけだったんですよ。そこから歌のレッスンをやった時に、歌が苦痛すぎて“嫌だ、受けたくない”って……。私、なんでもそうなんですけど、できないことがつまらないんです。ダンスもやったことのないジャンルだとつまらない。最初はできないから。勉強もそう。だからはじめは、歌が嫌だったんです。でも、練習していくうちにできないことができるようになる、それが好き。歌も歌えるようになっていくと、だんだん好きになっていって。そこから、自分が歌って踊る人になりたいと思い始めたのが、小学校6年生くらいですね。その時にちょうど、先輩方のコンサートを観させてもらったんです。少人数で、大勢の人を魅了していくのはすごいなと、夢をもらいました。それで、小学校の卒業文集には“歌って踊れるアーティストになりたい”と書きました。そこからただ楽しく踊っているというわけではなく、“こうなりたい”という目標が決まりました。
——夢ができたと同時に、アーティスト志向だったんですね。アイドルについてはどう思っていたのですか?
辰巳:
アイドルは全然わからなかった。ずっと洋楽と、日本人はR&Bを中心に聴いてダンスをやってきたので。だからこそ今、NEO(JAPONISM)になって、周りのアイドルさんを見ていると、アイドルって垣根がないんだなって思います。テレビに出ている(AKB)48グループや坂道系の方もすごくダンスが上手だったり、歌が上手な方もいらっしゃるし、グループのコンセプトはいろいろあるけど、それぞれリスペクトできるところを持った人はたくさんいるんだなって感じます。今もアイドルさんをたくさん聴いているわけじゃないけど、対バンで一緒になってカッコいいなと思うグループさんは、本番前に観に行かせてもらったりしますね。
——辰巳さんご自身がアイドル活動を始めた時は、どう思いました?
辰巳:
アイドル活動が始まったのは高校生になってから。始まる直前にスカウトされたメンバーで組まれたグループで、年齢も思春期の子ばかりでした。みんな、学校が終わったらそこに集まって活動するという、いわゆるもう1つの小さな学校ですよね。自分たちで振りを作らなきゃいけないこともあって、大変なことも多かったんですけど、いろいろ挑戦ができました。その歳でも自分たちが何かを作り上げる楽しさを学んだので、クリエイティブな方にも興味が沸きました。
——コレオグラファーの現在に繋がる、最初の芽生えだったと。それで、どうして事務所をやめたのですか?
辰巳:
アイドルとして表に出たのはそこからだけど、事務所にいたのはもっと長かったわけで。しかも鳴かず飛ばずだった……。長くいると安心しちゃうじゃないですか。そこがよくないのかなと。変化を求めているようで、安心を求めていた。もう1年、そしてもう1年とくり返してきた10年を振り返ってみた時、ずっとなあなあにやってきたなと思っちゃったから、“じゃあ、やめよう”と。未練はなかったし、またこの事務所に笑顔で戻って来られるような人にならなきゃと思った。自分を追い込んだとでもいうか、いいプレッシャーになりました。
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