前田美咲、上京後の苦労「人気をつけるとかファンをつけるっていうのが、最初の3ヵ月ぐらいしんどかった」 前田美咲×茉井良菜 新大久保で関西出身の2人がほんまに楽しいデートした件。 #3
茉井 良菜(煌めき☆アンフォレント)
Pop'n'Roll 副編集長
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前グループまでの活動で大勢のファンがいた関西を離れてStella☆Beatsに途中加入した前田さん。同じ経験を持つ茉井副編集長が、新メンバーとして上京した当時どんなことを思って活動していたのか聞きました。
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茉井:
東京に来て苦労したことってありますか? ちなみに私は奈良から名古屋に行ったら“しばくぞ”とか“何言ってんねん”がファンに通じなくて、物販で誰も近づかない時期があったんですけど。“何言ってんのアホちゃう”って言ったら“そんなに言わんでよくない?”って言われたから、あぁ、ここの国でこれはダメなんだって(笑)。
前田:
きつく聴こえるんやろうね、やっぱ関西弁って。うーん、ステラの現場ってもう出来上がっていたから、そこに馴染むっていうのが大変だったかな。でも1番自分のメンタルがすり減ったのはファン。ずっと関西で活動していたから関西にはファンの人がいるじゃん。だから東京に来るまでは、さみしい思いをしたことはあまりなかったのね。関西のやり方と東京のやり方って、物販とかも違うじゃない。関西の時は1人ひとりのチェキ札とかやったことがなかったし、そもそもソープロはチェキがなくて握手とハイタッチだけだったから。
茉井:
え、ソープロの時はチェキなかったんですか?
前田:
なかった。だから東京に来て久しぶりにチェキをやったんだけど、月に20本近くライブがあると関西のファンがそのたびに交通費使って来るのって難しいし、距離にはかなわないから東京でファンをつけるしかないじゃんか。それが最初けっこう大変だったかな。チェキ列1人も並ばない時とかざらにあったし。
茉井:
それって関西じゃありえないですよね。
前田:
そう、そう。入った時話題にもなったし、東京で知ってくれていた人は何人かいたけど、その人たちが定期公演や対バンに毎回来てくれるわけではないからさ。なので、人気をつけるとかファンをつけるっていうのが、最初の3ヵ月ぐらいしんどかったなー。ずっと家で泣いてたもん。あはははは。
茉井:
私は物販で泣いたことありますよ。久しぶりに来てくれた人がいて、握手した瞬間にぶわっーて涙が出たから、その人ビックリしてた。
前田:
あはははは、そっちか。うれし泣きの方ね。自分の物販が途切れると、みんなより先に下げられたりするじゃん。あれって切なくない? 私は負けず嫌いだからそういうのが最初すごく悔しかったのね。それでその時はまなてぃー(星野愛菜)がいて、ダントツの人気だったから、この人に勝たないと自分がステラにいる意味がないなって思ったの。やっぱサブとかは嫌じゃん(爆笑)。だから年内中にこの人と並ぶようなレベルまで自分の価値観を上げないといけないと思って頑張ったんだよね。人気ってどこの事務所も厳しいと思うけど、AJはライブでお目当てメンバーを聞いたりするから、そこが特に厳しくてシビアだったし。でもそれは自分のためでもあるけど、グループのためでもあって、貢献しないとグループにいる意味ってないじゃん。今思うと、あの時期は個人フライヤー作って配ったりとか、名札ずっとつけていたり、手に名前書いたり、アイドルとして初めて頑張ったなって思う。東京での前田美咲を作るために頑張っていたなって。
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