神宿が提示するアイドルエンタテインメントの新たな可能性[株式会社神宿 代表取締役インタビュー]「日本のアイドルの“大人が操ってる”というイメージに少し違和感があった」

神宿が提示するアイドルエンタテインメントの新たな可能性[株式会社神宿 代表取締役インタビュー]「日本のアイドルの“大人が操ってる”というイメージに少し違和感があった」 株式会社神宿 代表取締役・柳瀬流音インタビュー前編

鈴木 健也

Pop'n'Roll Editor in Chief(編集長)

2021.05.26
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アルバムリリース、5本を越えるツアー、個人FC設立、グループ公式FCリニューアル、スタッフ募集……など、昨年から今年にかけて、コロナ禍の中でも多種多彩な展開を見せている神宿。エンタテインメント業界全体を襲う逆境を乗り越えていくかのような彼女たちのアクティブな活動はどのような想いのもと行なわれているのか? その答えを探るため、去る2月にClubhouseにて「コロナ禍のアイドルマネジメントを探る 世界のアイドルそして神宿の未来について」と題して、株式会社神宿 代表取締役である柳瀬流音に公開インタビューを敢行。2時間を越えるトークセッションの中で、柳瀬は、神宿のビジネス戦略について赤裸々に語った。今回、当日の内容を踏襲しながら、改めてインタビューを実施。全3回にわたって、その内容を余すことなくお届けしていく。第1回目となる本日は、柳瀬氏が神宿に関わるようになったいきさつから、コロナウイルスの感染が拡大していく中でチーム神宿がどのような決断を下し、行動に移したのか、その舞台裏を明かす。

編集協力:村田誠二

僕にとってはアメリカでの経験は衝撃的

──柳瀬さんはこれまで、ご自身の存在を表には出してこなかったそうですね。

柳瀬:
そうなんです。1度、『舁夫会(KAKIFU-KAI)』という神宿のファンクラブの限定インタビューでお話ししたことはあるんですが、それももう3~4年前ですね。それ以降は、いつも神宿のライブだったり特典会だったり現場にはいるので、知ってくださっている方もいると思いますが、こういう取材でお話しさせていただくことは一切なかったですね。

──そうなんですね。そもそも神宿に関わるようになった経緯から教えていただけますか。

柳瀬:
現場に顔を出すようになったのは2017年3月くらいからなんですが、実は神宿自体は1周年の頃から見ていました。神宿を立ち上げた北川(敦司)さんとは同じ大学出身という縁で知り合っていて、定期的にご飯を食べに行ったりコミュニケーションは取っていました。僕はそれまで音楽業界で仕事はしていたもののアイドルマーケットには詳しくなかったので、いろいろと教えていただいて。で、神宿が2周年でZepp DiverCity(TOKYO)でワンマンライブをやった時、僕がちょうどノロウィルスに罹ってしまいまして(笑)、観に行けずじまいだったんですが、そのあとに北川さんとお話しした時に、“神宿をもっと大きくしていきたいから、柳瀬さん、コミットしてくれないか”って相談をいただいて、そこからスピーディにチームに入ることになったという感じですね。最初は、もちろん新入りなので特典会のチェキの撮影すらさせてもらえなくて、ほかのスタッフが撮影したチェキをメンバーに渡すという役割でした(笑)。それは現場での話で、裏ではツアーの制作とかプロモーションまわりに携わっていましたね。

──もともと音楽業界にいらしたんですね。

柳瀬:
そうですね。北川さんは21歳の時に学生起業家として“株式会社神宿”を始めたんですが、僕自身もちょうど21の時に音楽マネジメント会社を立ち上げたんです。もう少し話を戻すと、高校1年からバンドでベースをやっていたんですけど、自分で作曲して歌詞も書いて、“絶対バンドでやっていくぞ”ってスタンスで学生生活を送っていたんです。高校時代にCDも出したり、年に100~150本くらいの全国ツアーもやっていたんですよ。で、2011年に、お恥ずかしい話なんですが、グラミー賞を獲りたいと思っていたので(笑)、当時のマネージャー兼社長に“アメリカでグラミー賞を獲ってるスタッフとレコーディングしたい!”ってお願いして、実際にアメリカでレコーディングしたり、いろいろ経験させていただく中で会社を立ち上げようと。やはり僕にとってはアメリカでの経験は衝撃的で、日本で言うと、マネジメント会社って現場マネージャーがボロ雑巾のように扱われていたり、社長からの許可がないと何もできないとか、決して花形とは言えない職業じゃないですか。でもアメリカでは、ハリウッドの俳優のエージェンシーが有名ですけど、完全に成果報酬で、(マネージャー自身が)弁護士の方も多いですし、実際に僕が向こうで出会ったスタッフの方はみんな頭もいいし成功もしていて、すごく華やかだなと思ったんですよ。それはアーティストマネージャーだけじゃなくて、ツアーマネージャーもそうだしスタイリストもそうだし、パブリッシャーの方もそうだし、関わった方みんなが一流だったということもあるかもしれないですけど、成功している方が多くて、アーティストを取り巻く環境自体が日本と違うんだなって、自分の中で引っ掛かっていたんですね。

――アメリカで貴重な経験をしたわけですね。

柳瀬:
そんな時に僕のバンドのボーカルが失踪してしまって(笑)、“このあとどうする?”って。で、まずはライブハウスを経営するっていうフェイズがあって、その中で、アーティストと会う機会も増えて仲間もたくさんできてくると、みんな困ってるんですよ──どうやったら売れるんだろう?とか、どういう風に活動していけばいいんだろう?って。すごく能力もあって頑張っているのにウマくいかないのはもったいないなと思っていて、その時にはまだ僕自身プレイヤーとしても活動していたんですが、どちらかと言うとスタッフワークに興味があったので、じゃあ僕がやってみようということで起業したんです。もともとマネジメント会社もやっていて、どういう仕事が必要なのかは学んでいたので、日本の音楽業界を盛り上げるためには、まずはプロフェッショナルを増やしていかなきゃいけないと。そのためにまず自分が勉強して、そういうスタッフを増やしていくことができたらアーティストがもっと報われるんじゃないかと、そういう想いで2015年に『株式会社楽響』という会社を起こしまして、当時はほかにもいろいろとお手伝いしているアーティストもいましたが、その流れで神宿と出会うんですね。

──勉強していたとはいえ、いきなりマネジメント業務に携わるのは難しかったのでは?

柳瀬:
そうですね。例えば4人組のバンドがいて、ボーカルの発言権が強いんだけれど、ベースとドラムはすごく仲がいいという関係だったとします。で、メディアの方から“今回の雑誌インタビューは「V字回復」というキーワードで進めましょう”みたいな話をいただいていて、ボーカルがすごく乗っかって話をしていた。でも後日、記事が上がってきたら、ベースが“これ、ないでしょ?”と。するとドラムもそこに乗っかっちゃって、結局“やっぱりこの記事、やめてもらえませんか”ってことになる……みたいなことって、けっこう“あるある”なんですよ。リーダーが決まっていれば、まずリーダーとコミュニケーションを取ることになるんですが、やっぱりバンドって人と人なので、それだけでは完結しない難しさがあるんですね。“いいと思ってないのに進めた”と言う人がいれば、じゃあ全員がいいと思う承諾を毎回取るのか? そんなことをしていたらスピード感も出せない──こんな感じで、なかなかマネジメントとアーティストの関係って簡単にはいかないんですよね。

──マネージャーさんが、アーティストとメディアとの板挟みになって苦労することもありますよね。

柳瀬:
そうなんです(笑)。あと、お金もかかりますし、チームも必要ですし、当時の僕にはすごく難しいなと思っていました。ただ、考え方としてはエージェントのような立ち位置で、自分はこういう領域の仕事をします、その売り上げに対して何%いただきます、という形で仕事をさせていただいていました。そういう中で出会った神宿も、チャレンジングなプロジェクトでした。もともと北川さんが作っていたプロジェクトをアップデートしなければならないというタイミングでお話をいただいた上に、女の子5人組のグループじゃないですか。難しいと思いましたね。それまではロックバンドだったりシンガーソングライターだったり男性アーティストと仕事をすることが多かったので、おそらく全然違うだろうなと思いましたし、いきなりマネジメントの核の部分でご一緒するのは難しいだろうなと思ったので、最初は、徐々にツアーやメディアプロモーションみたいなところからご一緒するするようになったという形ですね。

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