cali≠gari 村井研次郎が語り尽くすヴィジュアル系とアイドル[インタビュー後編]「アイドル文化はヴィジュアル系と一緒で絶対になくならない」
cali≠gari 村井研次郎が語り尽くすヴィジュアル系とアイドル[インタビュー後編]「アイドル文化はヴィジュアル系と一緒で絶対になくならない」『偶像音楽 シン黒子列伝』第5回後編:村井研次郎
『偶像音楽 シン黒子列伝』第5回目、ヴィジュアル系ロックバンド・cali≠gariのベーシスト・村井研次郎インタビューの後編。楽曲提供/ライブサポートを手掛けているプログレッシヴ・アイドル『XOXO EXTREME』との関係について語った前編を経て、今回は、村井のバンド人生にフォーカス。ヴィジュアル系バンドのメンバーとしてのこれまでの歩みをじっくり振り返ってもらった。アイドルとは異なるフィールドで活動を続けていた村井研次郎が、アイドルに関わることによって発見した両者の類似点、またアイドルの魅力とは?
村井研次郎プロフィール
1974年6月15日生まれ、神奈川県横浜市出身。2002年にヴィジュアル系ロックバンド・cali≠gariのベーシストとしてメジャーデビュー。COALTAR OF THE DEEPERSなどのバンドのみならず、Berryz工房やこぶしファクトリー、でんぱ組.incなどのアイドルのレコーディング、その他サポート/セッションなども行なう。cali≠gariは、2023年6月21日にニューアルバム『16』をリリース。
ヴィジュアル系ロックバンド、cali≠gariのベーシスト、村井研次郎がヴィジュアル系とアイドルについて語り尽くす、アイドルメディアのカテゴリに収まりきらない、前代未聞の超濃厚ロングインタビュー。前編では、プログレッシヴ・アイドル、XOXO EXTREMEとの関わりとその熱き想いを語ってくれたが、後編ではSEX MACHINEGUNSやCOALTAR OF THE DEEPERSといったバンドをはじめ、自身の音楽遍歴や90年代ヴィジュアル系ブーム当時のことまで、とことん迫ってみた。
伊藤政則が『夕やけニャンニャン』の司会をしてるのがめちゃくちゃ激アツだった
ーー村井さんは言わずと知れたヴィジュアル系ロックバンド、cali≠gariのベーシストですけど、村井さん自身はヴィジュアル系を通ってきたわけではないんですよね。
村井:
そうなんですよ。BUCK-TICKとSOFT BALLETは後追いですけど、カッコいいなって。昔、<LSB>(※1994年8月に5会場全5公演にて行なわれたLUNA SEA、SOFT BALLET、BUCK-TICKによる伝説のイベントツアー)ってあったじゃないですか。cali≠gariの石井秀仁(Vo)が“S(SOFT BALLET)”で、桜井青(Gt)が“B(BUCK-TICK)”じゃないですか。じゃあ、僕が“L”やろうかなって。でも、LUNA SEAじゃなくて、LOUDNESSなんです(笑)。『ロッキンf』読んでたけど、綺麗に化粧してるバンドのページは全部飛ばしていて。LOUDNESSとE・Z・Oっていう、アツ苦しいページばかり読んでました。当然ほかの2人とはクロスオーバーしない。でも、だからこそcali≠gariは面白いんでしょうね。
ーーそういう部分で、DEAD ENDはどうです?
村井:
そう、DEAD ENDだけなんですよ、交わるのは。僕は1、2枚目(『DEAD LINE』1986年、『GHOST OF ROMANCE』1987年)が好きで。あの2人は3、4枚目(『shámbara』1988年、『ZERO』1989年)が好き。好きなアルバムが違うっていうだけで、DEAD ENDくらいしか共通項がなくて。
ーーああ、すごくわかりやすい! DEAD ENDは初期2枚がメタルで、後期2枚はヴィジュアル系っぽいですよね。
村井:
初期のごった煮の感じが好きなんですけどね。あと僕はE・Z・Oで、あの2人はFLATBACKER。
ーーFLATBACKERからE・Z・Oに改名してから、“忍者メタル”なんて言っていましたけど、ヘヴィさが増しましたね。
村井:
2人はANTHEM(アンセム)、LOUDNESS(ラウドネス)はまったく通っていないみたいで。僕は昭和49年生まれなんですけど、その前後でけっこう違うのかなって。僕の下はみんなヴィジュアル系で、僕の上はみんなメタルなんで。
ーーちょうどジャパメタからヴィジュアル系へ流れていった頃ですね。
村井:
それこそジャパメタブームが終わるキッカケを作ったのが、DEAD ENDみたいなところもありますよね。それぐらい衝撃的なグループでした。あとはオルタナとグランジ。僕は中学高校と、メタルしか聴いてなくて。大学入ったらメタルやるぞと思ったら、“メタルはもうダサい”みたいな雰囲気になっていて。自分1人だけ髪の毛長くて、薔薇柄のシャツを着て、様子がおかしかったんですよ(笑)。周りは短パンで坊主にヒゲっていう、パンテラとかニルヴァーナの時代。1人ぼっちでしたね。かと言って、ヴィジュアル系も知らないし、どうしたものかと。いいバンドに出会えないし、黒人音楽聴いたりしながら4年近くひたすら1人でベースの練習をしたっていう。そしたら大学4年の時にたまたまcali≠gariに入りまして。ヴィジュアル系のバンドを1つも知らない、聴いたこともないっていう状態でした。
ーーそもそも村井さんのロックの初期衝動はなんだったんですか?
村井:
兄貴が3つ上だったんで、小学校5、6年の時にLOUDNESSですね。ANTHEM、E・Z・O、DEAD END、聖飢魔II。あと歌謡曲はめっちゃ聴いてました。THE ALFEE、C-C-B、爆風スランプ、米米CLUB、REBECCA……あと、覚えてる人あまりいなさそうだけど、ルック好きでしたね。マニアックなところだと、遊佐未森とか。ちょっとプログレですよね。本格的なプログレだとZABADAKとか。アイドルも聴いてました。おニャン子クラブはけっこうレコード持ってたんじゃないかな。そういうアーティストが出てる歌番組をテレビにラジカセ向けて録音してました。あの当時はそれしか方法がなかったですよね。
ーー家族に“しーっ”て(笑)。基本的に歌モノが好きなんですね。
村井:
歌モノが好きですね。メロがない音楽はほとんど聴いたことないんじゃないかな。ヒップホップもまったく聴いてないし。あと、ロックンロールも聴いてないんですよね。ほか2人はTHE STREET SLIDERS、忌野清志郎とかも大好きなんですよ。自分はまったく聴いてない。同じ雑誌に出てたんですけどね。cali≠gariの曲作りをする時にキーワードが出るんですけど、こないだもルースターズが出ましたけど、通ってないし……。鮎川誠、陣内孝則って言われても……。まぁ、今は後追いできるじゃないですか。それで勉強するんですけど。
ーー確かに、村井さんがめんたいロックやビートロックでルート弾き、っていうイメージはまったくわかない。
村井:
“研次郎くんにはこのよさはわからないよね”って、ティーンの時に通ってないものをアラフィフになって言われてもなぁ(笑)。可能性がないわけじゃないんですけどね。BUCK-TICKとかSOFT BALLETは後追いでカッコいいなと思ったし。逆に2人はLOUDNESSとかは入ってこないみたいだから。自分は高崎晃が神ですけど、2人は布袋寅泰なんですよ。
ーー速弾きの“タッカン派”と、カッティングの“布袋派”に派閥が分かれましたよね。
村井:
あの2人(桜井と石井)はアイドルとかも一切通ってないですね。伊藤政則が『夕やけニャンニャン』(フジテレビ及び一部系列局で1985年から1987年まで生放送されていたバラエティ番組)の司会をしてるのがめちゃくちゃ激アツだったんです。『PURE ROCK』(1980年代にTBSで放送されたハードロック/ヘヴィメタル専門の音楽番組)で観てたメタル評論家の人がアイドル番組の司会かよ! これは俺得だって。
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