【連載】沖口優奈×ファッションバイヤーMB(前編)「自分のために動かないことがリーダーにとっては大事なこと」 マジカル・パンチライン 沖口優奈「ここの責任者、出してください❤️」第9回:ファッションバイヤーMB(前編)
沖口 優奈(マジカル・パンチライン)
Pop'n'Roll Chief Discovery Officer
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マジカル・パンチラインのリーダー沖口優奈が、さまざまなリーダーと対談して理想のリーダー像を見つけていく本企画。第9回目に登場するのは、メンズファッションプロデューサーや作家として活躍しているMB氏。現在は自身の運営する会社の代表としてプロバイヤーや企業コンサルタントなどの傍ら、Webサイト『最も早くオシャレになる方法KnowerMag』の運営や漫画『服を着るならこんなふうに』の監修、雑誌『週刊SPA!』で連載を待つなど、さまざまなフィールドで活動を行なっている。対談前編となる今回は、新しい“働き方”の思考とテクニックを紹介するMB氏の最新著作『もっと幸せに働こう 持たざる者に贈る新しい仕事術』の話題から、同氏がファッション業界を仕事として選んだ経緯や働く上での考え方などについて、沖口が熱心に話を聞いた。
撮影:中島たくみ
マジカル・パンチライン 沖口優奈「ここの責任者、出してください❤️」第9回:ファッションバイヤーMB
自分が好きなものが死んでいくのが許せなかった(MB)
沖口:
今回、お話をうかがうに当たって、MBさんが執筆した『もっと幸せに働こう 持たざる者に贈る新しい仕事術』を読ませていただきました。今までの人生観が変わるくらいの内容でした!
MB:
またまた(笑)。それは大げさですよ。
沖口:
いえ、本当にアイドルを続けていく上で、大切だなと思うことがたくさん書かれていて、すごく勉強になりました! この本を読んだ上で、まずMBさんがファッション業界に入ったきっかけを教えてもらえますか?
MB:
もともとはミュージシャン志望で、バンドマンだったんです。ずっとジャズドラムをやっていて。小さな世界の話ですけど、それなりに自信があったんですよ。僕は新潟出身で、地元のジャズバンドの中ではトップクラスだと自負していたんです。プロのバンドが新潟にライブに来ると、前座をやらせてもらうことも多かったですし。バンドの中でも最年少だったので“俺の年齢でこれだけ叩けるドラマーはいないだろう”なんて天狗になっていました(笑)。
沖口:
自信を持っていたんですね(笑)。
MB:
そんな時に、僕のバンドがコピーしていた、憧れのバンドの前座をやることになったんです。その時、自分としてはすごくいい演奏ができたんで、憧れのバンドのメンバーもきっとビックリしているだろうって思いながら、彼らの本番を観たら、レベルが50段階くらい違ったんですよ。“これほどまでにレベルが違うのか……。だとしたら、お客さんが僕らの演奏を聴くのはすごく不幸なことだな”って思ったんですよね。だって、彼らの演奏を聴いた方が全然いいから。僕らの演奏なんて社会の利益にはならないじゃないですか。それならやっていても無駄だなって、すっぱり辞めたんです。そこで、俺にできる社会の利益になることって何かなって考えてみたら、自分は他人よりも洋服が好きだから、洋服関係のことをするのがいいんじゃないかって思いついたんです。それで、大学生だったので洋服屋さんでアルバイトを始めて、卒業後は洋服屋さんに就職してという感じでステップアップしていきました。
沖口:
ほかの人よりもファッションが好きだと気がついたのはいつ頃なんですか?
MB:
高校生の頃から洋服にはすごく興味があったんです。それこそ、毎日洋服のことを考えているような感じでしたね。ヲタクなんで、細かいところまで見るのが好きで。服を裏返していろいろ調べたり、洋服の歴史を勉強したり……。でも、自分と同じくらい好きな人なんてたくさんいるだろうと思っていたんですよ。だけど、大学に入って、そんなことしている人は全然いないことに気づきました(笑)。洋服が好きだという人と話をしても、全然違ったというか……。
沖口:
“俺、レベルが高いかも?”って気づいたんですね。
MB:
そうなんです。だったらプロになった方がいいんじゃないかと。
沖口:
アパレルのメーカーでサラリーマンをしていた時代があったとお聞きしたんですけど、その頃に副業として今のお仕事を始めたんですよね?
MB:
周囲に見える形で言えば、その頃にブログを始めました。ただ、それまでにいろいろな準備はしていたんです。例えば、自分の洋服に対する理屈をノートにまとめたり、ブログに関してもどういう作りのブログがいいのか考えたり、いろいろ試行錯誤してから始めました。そういう段階を経て、2002年12月にブログをスタートさせました。
沖口:
サラリーマンとして頑張って働いている時に、またほかの新しいことを始めるというのは、すごく大変だったと思うんですけど、何かきっかけがあったんですか?
MB:
いろいろなことがあったんですけど、1番大きかったのは、いくつかある大好きなブランドの元気がなくなっちゃったことですね。いわゆるファストファッションが台頭し、そこに食われてしまって、ブランド品の人気が弱くなってしまったんですよ。でも、大好きなブランドの服をちゃんと見てみると、どれもすごくいいものを作っていたんです。それが評価されないのはおかしいなと思って。評価されるほど十分な情報が出回っていないんじゃないかと考えて、そのブランドをまったく知らない人に、その良さを伝えようと思ったのが大きなきっかけでした。自分が好きなものが死んでいくのが許せなかったんですよね。
沖口:
自分の好きなブランドの魅力を周囲に広めたいという想いだったんですね。新しいことを始めるのは、勇気がいると思うんですけど、いろいろなチャレンジをしていく中で、心が折れそうになったり、挫折しそうになったことはありましたか?
MB:
銀行の預金残高がゼロになったときは心が折れそうになりました(笑)。MBとして仕事を始めて1年目だったかな。当時、月に30万円ほどの売上だったんです。まあ、それだけあれば生きていけるので独立したんですけど、家賃が10万円ちょっとする事務所を借りちゃったんですよ(笑)。
沖口:
自分のお家とは別にですか?
MB:
そうです(笑)。まだ新潟にいたんですけど、100平米もある事務所だったんです。当時の仕事だったらパソコン1台あればなんとかなったので、そんな広さは必要ないんですよ。広いフロアにポツンとデスクがあって、そこにノートパソコンが置いてある(笑)。タイピングすると、キーボートを打つ音が“ターンターン~”って部屋中に響いたのをよく覚えています(笑)。でも、せっかく始めるんだからいいところを借りたいと思ったんですよ。きっと有名になるって思ってたし、いいところを借りて、その物件に負けないように頑張ろうって思っていました。
沖口:
自分を奮い立たせるために、大きな事務所を借りたんですね。預金残高がゼロになった時に、どうやって自分の気持ちを掻き立てていったんですか?
MB:
僕は精神が弱いので、けっこうガクッと来ちゃう方なんです。今でも3年に1度くらいのタイミングで、心が折れそうになることがありますね。本にも書きましたが、パニック障害という精神疾患になったこともありますし、今はAGA治療をやっています……って言われても反応に困りますよね(笑)。いろいろと落ち込みやすいタイプではあるんですけど、1日悩むと立ち直れるんですよ。よくこんな風に考えるんですけど、僕ではなくて、例えば孫正義さんとか、すごく仕事のできる人だったら、このタイミングでは諦めていないはずだって。しかも、絶対にいい方向に転換させているはずなんですよ。ということは、何か現状を打開する方法があるはずって。じゃあ、まず冷静に打開策を考えてみようと。預金残高がゼロになった時も、そんな風に打開策をたくさん考えてみたんです。そんな時に考えたことが、今の事業につながっていることもあるんですよ。AGAの時も……この話、しなくてもよかったかな(笑)。あの時も“このままでは髪がなくなるな”って思って、治療法をめっちゃ調べました。誰しも、落ち込むことが必ずあると思うんですけど、そういう時こそ、冷静に対処法を考えることが大事なんじゃないですかね。
沖口:
ネガティブな気持ちになりがちですけど、どんな小さなことでもプラスになることを考えていった方がいいんですね。
MB:
そうですね。加えて、僕じゃない誰かだったらリカバリーできるんだから、方法はあるはずだと信じることですね。
沖口:
自分にもできるはずだと?
MB:
同じようなことで悩んでいたけど、すでに解決した人がいるはずですからね。
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