【連載】沖口優奈×@ JAM総合プロデューサー 橋元恵一(後編)「とにかく3日間一緒に楽しみましょう」

【連載】沖口優奈×@ JAM総合プロデューサー 橋元恵一(後編)「とにかく3日間一緒に楽しみましょう」 マジカル・パンチライン 沖口優奈「沖Pの教えてプロデューサー」第3回:<@JAM>総合プロデューサー 橋元恵一(後編)

沖口 優奈(マジカル・パンチライン)

Pop'n'Roll Chief Discovery Officer

2021.08.26
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マジカル・パンチラインのリーダー兼プロデューサー沖口優奈と、<@JAM>の総合プロデューサーを務める橋元恵一によるプロデューサー対談の後編。今回は、<@JAM EXPO>の歴史を中心に、特に大変だったことや<@JAM>の強みについて沖口が話を聞いていく。以前から親交の深い2人の対談は終始和やかに進行していき、@JAMナビゲーター期間限定ユニットの話題では意外なエピーソードが飛び出す場面も。本対談を通じて、今年で10年目を迎える<@JAM>を作り続けてきた橋元氏が胸に抱く2年越しに有観客で開催する<@JAM EXPO 2020-2021>への真摯な想いを沖口が明らかにしていく。

編集協力:井手朋子

マジカル・パンチライン 沖口優奈「沖Pの教えてプロデューサー」第3回:<@JAM>総合プロデューサー 橋元恵一(後編)

まさかそんなに大変な事情があったんだっていう驚きが……(沖口)

沖口:
<@JAM>としてスタートして、最初から<@JAM EXPO>というイベントをやりたいというのは目標としてあったんですか?

橋元:
それが全然なくて。<@JAM>の1年目(2011年)は新木場STUDIO COASTで開催して、これが惨敗したんですよ。多分うちが走りだったと思うんだけど、会場内にステージをいくつも作って、エビ中、でんぱ組、LiSA、May'nちゃんや栗林みな実さんとか、けっこうな豪華メンバーをずらりと並べたんだけど、700人ぐらいしか来なかったのかな。だから、“これはもうダメだな、ごった煮はいかん”と思って日を分けてやろうと。そこで次の2013年からZepp DiverCityに場所を移して、土曜日はアニソンだけの日、日曜日はアイドルだけの日って切り替えたのね。

沖口:
1年目からすでに形が出来上がっているような感じがするんですけど、その後はどうだったんですか?

橋元:
2013年の夏に、当時<TIF(TOKYO IDOL FESTIVAL)>のプロデューサーだった門澤(清太)さんという方が人事異動で<TIF>を離れることになって、“来年は<TIF>がないかも”という話をポロリと聞いて。“アイドルシーンの火を消しちゃいけない”と思って、2014年に無理やり横浜アリーナでやることにしたのが<@JAM EXPO>。要は、“<TIF>がなくなったら困るよね”って作ったのが、<@JAM EXPO>の始まりなんですよね。

沖口:
なるほど〜。なんで会場は横浜アリーナにしたんですか?

橋元:
当時社内で横浜アリーナを使って開催していた<WIRE>という石野卓球さん主催のテクノフェスがあって。金曜の夜から土曜の朝までレーザービームの中で酒を飲んで踊りまくるっていうフェスだったんだけど(笑)、ちょうど過渡期を迎えていたのね。だから、“2014年から横浜アリーナを使わないかもしれない”という話があって、手を挙げてたまたまスライドさせてもらったんです。それも偶然のきっかけかな。門澤さんが僕にポロリと“来年ないかもしれない”って言わなければ<@JAM EXPO>はなかったし、<WIRE>が終わらなければ横浜アリーナでやることもなかったし。偶然が重なって今に至るという。

沖口:
最初はライブ制作をまったくやったことがない状況から異動になって、知らないアイドルやアニメという分野でイベントを始めて、その中で横アリでイベントを作り上げるという、<@JAM EXPO>の1回目はどんな感じだったんですか?

橋元:
あまり覚えてないんだけど(笑)、すごい大変というか。今にして思うと、2014年は現在のベースになっていることをゼロから考えたのでとてつもなく大変だったんだろうけど、当時はやりたいことをとにかく全部詰め込んだフェスだったなと。ステージも7つぐらいあって、アイドル運動会をやったり。4階にあるキウイステージってわかる? あそこって養生を剥がすとバスケットボールができるような、床が板張りの体育館なんだよね。下見に行った時に“あれ? これ運動会じゃない?”ってなって(笑)、小・中学生の部、高校生・一般の部って2部に分けてアイドルの運動会をやったり、2014年の<@JAM EXPO>は思いつくまま、すべてのことをやったかな。でも、そうしたら赤字だったね(笑)。

沖口:
<@JAM>の歴史を辿って、中でも特に大変だったなと思うことは?

橋元:
<@JAM EXPO>の歴史で言うと、<@JAM>はイベントとしてはそこそこ成功していたんだけど、<@JAM EXPO>って規模が大きいのとやりたいことをやろうとするとだいたい赤字になってしまって、2014年、2015年、2016年って赤字が続いて。社長からは“フェスを育てるためには3年ぐらいの赤字は仕方ない”って言われていたから、3年は我慢してくれるだろうなっていうのはちょっとあったんだよね。だけど、黒字化を目指して満を持して迎えた2017年は頼みの綱だったでんぱ組が活動を少しお休みしていて。<@JAM>の歴史って、でんぱ組の歴史とわりと被るところがあって、でんぱ組とともに頑張ってきた中で彼女たちが稼働できないというマイナス要素しかなくて、どうしようと。結局、2017年も赤字だったんだよね。

沖口:
2017年は幕張メッセで開催した年ですか?

橋元:
2016年が幕張。

沖口:
じゃあ、それがマジパンが初めて出た時か。

橋元:
2016年以降は音楽ナタリーさんと一緒にやっていこうっていう感じだったの。だから2017年も2018年も<@JAM×ナタリー EXPO”>続くと思ってたんだけど、<@JAM EXPO>史上最も赤字が出たのが2016年開催の<@JAM×ナタリー EXPO>で、1年でナタリーさんが撤退しちゃったんだよね。一緒にやっていこうと思っていたナタリーさんもいなくなり、そんな中でやったのが2017年で、その年はドロシー(Dorothy Little Happy)の復活とかをやったんだけど、結局ダメだった。多分これで終わってもおかしくなかったから精神的につらかったかな。もうこの先はないと思いながら当日を迎えてたので。

沖口:
うわ……まったく知らずに歌ってました。

橋元:
そりゃ知ってたら怖いよ(笑)。売れ行きもある程度見えて、当日を迎えた時にどの程度の赤字かっていうのも見えながらやっていたから来年はもうないなと。

沖口:
その頃って私もアイドル始めてそんなに経っていなかったので、よくわからないままやってたんですけど、当時からすでに<TIF>と<@JAM EXPO>と<アイドル横丁夏まつり‼>は3大アイドルフェスというイメージだったので、まさかそんなに大変な事情があったんだっていう驚きが……。ちょっと意外でしたね。出ている側はただただ楽しいイベントだったので、その楽しさの裏にそんなに大変なことがあったんだって今びっくりしています。

沖口優奈(マジカル・パンチライン)
橋元恵一

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