【インタビュー前編】マジカル・パンチライン 沖口優奈|激しく人見知りで運動が苦手な女の子がアイドルになるまで

【インタビュー前編】マジカル・パンチライン 沖口優奈|激しく人見知りで運動が苦手な女の子がアイドルになるまで 沖口優奈(マジカル・パンチライン)インタビュー前編

鈴木 健也

Pop'n'Roll Editor in Chief(編集長)

2019.02.10
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リーダーの佐藤麗奈の卒業やレーベル移籍など、2018年はグループとして大きな変化の年となったマジカル・パンチライン。新たに4人体制として歩みを進めた彼女たちは、2月20日にレーベル移籍第1弾シングル「Melty Kiss」をリリースする。グループとして初の恋愛ソングとなる表題曲を始め、ファンとの応援歌「ONE」、本格的なバラード「ハルイロ」など、新作はマジカル・パンチラインの“新生”を高らかに宣言する充実作となった。今回、本作を携え、グループとしてネクストステージに立とうとしているマジカル・パンチラインのリーダー沖口優奈にインタビューを敢行。前編となる本日は、幼少期からアイドルになるまでの彼女の歩みをじっくり振り返ってもらった。

沖口優奈(マジカル・パンチライン)インタビュー前編

人見知りがひどすぎて、お父さんに抱っこされて泣いちゃいました

――沖口さんの人生最初の記憶を教えてもらえますか?

沖口:
たぶん3歳ぐらいだと思うんですけど、お母さんにディズニーランドに連れて行ってもらって、ダンボの乗り物に乗った時の記憶ですね。そのほかの記憶はまったくないのに、ダンボに乗ってダンボの耳が見えているっていう景色だけずっと覚えていて。なんでそれだけ覚えているのか、夢なのか現実なのかもよくわからないんですけど、その記憶は小学校ぐらいからあります。

――小さいころ、ディズニーランドによく行っていたんですか?

沖口:
そうですね。お父さんは人が多いところが苦手なんですが、お母さんはすごいディズニー好きで、小さいころによく連れていってもらいました。マジパンのワンマンライブの翌日はお休みのことが多いので、お母さんはいまだにワンマンとかある時には東京に来てくれて、一緒にディズニーランドに行ったりします。お母さんがこっちに来た時には、いろんなところに行っていますね。

――お母さんとはずっと仲がよい?

沖口:
めっちゃよいですね(笑)。姉妹みたいな感じなので、私が怒られている時も姉妹喧嘩みたいな雰囲気で。お父さんに対してもお母さんに対しても、特に反抗期があったわけではなくて。中学校の時に、ワーって言われてちょっとイラっと来ることはあったけど、お父さんのものと一緒に洗濯してほしくないとか、お母さんと口を聞かなくなるっていうこともなかったです。

――素直でいい子だったんですね。

沖口:
でも、今も変わっていないんですけど、ずっと人見知りなんです。人見知りがひどすぎるエピソードが1個あって。お父さん、トラックの運転手をしていたんですけど、夜に仕事をして昼間に寝てという生活を優奈が生まれた時からずっとしていて、幼稚園の時に1週間ぐらいお父さんに会わない時があったんです。ようやく日曜日にお父さんが休みになって抱っこされたら泣いちゃったらしくて(笑)。それでお父さんを傷つけたっていう。でも、成長するにつれて仲よくなっていきました。

――では、友達を作るのも苦労しました?

沖口:
幼稚園と小学校の6年間は、本当に人見知りが激しすぎて、狭いコミュニティの中で生きてました。親友みたいな子としかしゃべらなくて、ほかの子とはうわべだけの会話っていう感じで。だから、友達はそんなに多い方ではなかったですね。中学校は、私が通っていた小学校と近くの小学校の2つの学校の子たちが集まる学校で。入学してみたら、自分の小学校の子がほとんどいなくて、別の小学校の子が固まっているクラスになっちゃったんですよ。

――それは困ったシチュエーションですね。

沖口:
もう絶望でしたね(笑)。最初に席に座った時に、前も後ろも横も知らない学校の子に囲まれちゃって、“どうしよう、誰ともしゃべれない”ってなって。でも、このままじゃ中学校ずっと楽しくないなって思ったら、ポジティブな自分がいきなり現れて、“後ろの子に話しかけてみよう”ってなったんです。それで、めっちゃ勇気を出して“名前、何?”って聞いて(笑)。

――一気に踏み出しましたね(笑)。

沖口:
そこで話しかけたことで、その子と仲よくなれて。その子には小学校時代の別のお友達がいて、その子のグループに入れてもらえたんですよ。人見知りだった小学校の自分からしたら考えられないような状況になって、楽しく生活できました。それがきっかけで人見知りがちょっとましになって、前よりも友達が増えて、誰とでも話せるようになったんです。

――それはすごい成長ですね。

沖口:
いまだに心の中では“話しかけられへん”っていう葛藤はあるんですけど、そのタイミングでだいぶ変わりましたね。

――中学校の時は部活に入っていましたか?

沖口:
美術部に入りました。

――なぜ美術部に?

沖口:
私、運動音痴なんですよ。運動が全然できないから、まず運動部という選択肢を自分の中で消していて。で、美術部に入る友達が多かったのと、絵を描くのはすごく苦手なんですが、工作が好きだったということがあって。1人で作業するのも好きなので、美術部に入って、図工ばっかりしとこうって思いました(笑)。あと冬でも室内だから暖かいかなって。

――あはは(笑)。では、美術部ライフはいかがでしたか?

沖口:
意外と絵も描かなくちゃいけなかったんです。このペットボトルと果物で絵を描いてくださいとか課題も多くて。“え、絵描かないとあかんの?”ってなって、一生懸命描いていたんですけど、めちゃめちゃ下手くそで(笑)。いまだにメンバーとかにバカにされるほど、絵は下手なんです。

――そう言われるくらいのレベルなんですね。

沖口:
もう見せられないぐらい(笑)。でも、3年生の時に副部長になったんです。

――ほかの部員からの推薦ですか?

沖口:
そうですね。部長は絵もウマくてしっかりしている子になったんですけど、副部長は重要じゃない役割みたいだったので(笑)。“テンション高いから沖口にしとけ”って感じで決まりました。

――当時、そんなにテンションが高い子だったんですか?

沖口:
テンション高かったですね。人見知りだけど、テンションだけはめちゃくちゃ高くて。副部長でしたが、3年間ずっと絵は下手でした。頑張っていたにも関わらず。

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