第9回:歌うことの意味|二丁目の魁カミングアウト ミキティー本物の「本物のアイドル論」
第9回:歌うことの意味|二丁目の魁カミングアウト ミキティー本物の「本物のアイドル論」
アイドル界のさまざまなトピックを、唯一無二のゲイアイドルだからこその視点で斬り込む連載コラム(隔週土曜日公開)。約半年間の休載を経て、本日より連載再開。その復活第1回目のテーマは“歌”。ミキティーが改めてアイドルが歌うことの意味を語る。
口パク、被せという概念がない
二丁魁のライブは生歌でやっているんですが、こだわりというより、私の中では生歌が当たり前だったんです。最初に好きになったアイドルのモーニング娘。は、初期の頃からハモりも生歌でやっていたし、その上で踊っていました。だから、そもそも口パク、被せという概念が私にはありませんでした。
でも、振り付けでいろいろなアイドルに関わるようになって、運営から“ここは口パクなので、もっと激しい振りにしてください”って言われることがあって。最初、私は本当に何を言われたのかわからなかったんです。踊りを激しくしたい、でも、歌って踊れないから口パクにするって、正直どうなんだろう?って思いました。
ただ、私にはそういう概念がないだけで、生歌でないことを否定はしません。それに、最初は口パクや被せがあっても、上を目指して少しずつ生歌が増えていくというのは、アイドルが成長していく1つのストーリーになります。そういうところに、ファンも感動するのではないでしょうか。
歌手として、歌がウマくなっていくことが1番大事
私は、二丁魁のメンバーの中で1番声が低いんですけど、きまる(モッコリ)くんが脱退して、きまるくんのパートを3人で分ける時に、きまるくんは私よりも3個ぐらいキーが高かったから、私以外の2人に多く割り振ろうって話になったんです。でも、それがすごく悔しくて。
だからボイトレを頑張って、短期間でキーがすごく上がったんです。今ではきまるくんのパートも歌えるようになりました。ここで息継ぎをして、こうやれば声が出るんだってことがわかった瞬間は、何よりも嬉しいし楽しい。それに、本番のステージで私の高音が綺麗に出ると、メンバーも嬉しそうに笑ってくれるんです。
だから被せが当たり前になっているアイドルは、可哀想だなって思ってしまいます。生歌で歌えなかった時の悔しい気持ちや、歌えた時の喜びを味わったことがないんだとしたら、それはもったいないです。歌手として、歌がウマくなっていくことって1番大事なことだと思うんですよ。その快感や、自分のモチベーションになることをやらせてもらえないんだとしたら、それは悲しいことだなと思います。
私は、喉の調子が悪い時、疲れて声が出ない時も、その自分の状況をありのまま歌に乗せたいし、ライブで見せたいから、生歌がいい。でも私たちも、まだハモりは被せていたりします。本当はハモりも生歌でやりたいんだけど、どうしても踊りとのバランスもあるし、会場によってモニタリングの環境が変わってしまうので、そこは難しいところですね。だから、いつかは生歌でハモりも綺麗に歌えるようになりたいと思っています。
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