NEO JAPONISM サウンドP・Saya[インタビュー後編]V系ギタリストからアイドルクリエイターへの転身「J-POPの魂を忘れない洋楽化! そこが大事」

NEO JAPONISM サウンドP・Saya[インタビュー後編]V系ギタリストからアイドルクリエイターへの転身「J-POPの魂を忘れない洋楽化! そこが大事」

NEO JAPONISM サウンドP・Saya[インタビュー後編]V系ギタリストからアイドルクリエイターへの転身「J-POPの魂を忘れない洋楽化! そこが大事」『偶像音楽 シン黒子列伝』第1回後編

新連載『偶像音楽 シン黒子列伝』第1回・Sayaの後編。今回は、音楽的ルーツ〜ヴィジュアル系バンドマン時代の話を皮切りに、彼が設立した音楽制作チーム『A-Spells』、曲作り&サウンドデザインでのこだわりなどについて、じっくり語ってもらった。

NEO JAPONISM、SOL、パピプペポは難しいのサウンドプロデューサーであり、多くのアイドル楽曲を手掛けるSaya。“仲谷コータロー”名義ではPEDRO、BiS、豆柴の大群など、WACKグループの制作にも携わっている。前編では“この2人がいなかったら今の自分はない”と言い切るほど影響を及ぼした、加藤颯、松隈ケンタ、両氏との出会いを中心に語ってもらったが、後編では音楽的なルーツとヴィジュアル系バンドマン時代のこと、そして日本ではまだ珍しい、複数人で楽曲制作を行うコライトに特化したチーム体制のこと、自身のクリエイターとしての信条に迫っていく。

高校生からちゃんとしたヴィジュアル系の世界にいられた

ーーSayaさんの音楽ルーツを教えてください。

Saya:
中学生の時好きだったのは、L’Arc〜en〜Cielとポルノグラフティ、あとはRIP SLYMEとか、クラスで流行ってるようなJ-POPですね、そういうのばかり聴いていて。それで、“ラルクになりたい、バンドやりたい”と思ったんですよ。父親がドラムをやってたんで、教わろうと。ドラムは楽しいんですけど、動けないじゃないですか。俺はステージから指差したり、そういうことがしたいんだって(笑)。音痴なのはわかってるから歌はダメ、ベースはどの音かよくわからないけど、ギターはこのソロで鳴ってる音だよな、よし、ギターは動けるし! そう思ってギターを始めたのが中3の時。高校は軽音部に入ったんですけど、コピーしやすいもの、MONGOL800や175Rとか、パンクが人気で。その中でカッコいいと思ったのが、ザ・ブルーハーツ。ラルクってJ-POPっぽいところがあったから、初めてバンドらしいものを知ったのがブルーハーツだった。

ーー最初は硬派なパンクだったんですね。オリジナルのバンドを始めたのは?

Saya:
友だちのつながりで、“ラルクが好きでギター弾いてるヤツがいる”ということで連絡が来て、“オリジナル曲のバンドをやろう”と。軽音部でコピーも楽しいけど、オリジナルをやりたかったんだ!と思ってやった。それがヴィジュアル系のバンドだったんです。マルルっていうバンドのローディーやってたヤツで。街のヴィジュアル系もどきじゃなくて、1stライブが高田馬場AREAっていう、ちゃんとしたヴィジュアル系バンドに高1から運よく入れたんですよ。

ーーヴィジュアル系のエリートコースですね。

Saya:
姫苺とかしゃるろっととか、そういう先輩たちがライブを観に来てくれたりもして、高校生の時からちゃんとしたヴィジュアル系の世界にいられた。自分の好きだったラルクやLUNA SEAのヴィジュアル系とは少し違うんですけど、いわゆるネオヴィジュアル系みたいな。でもルーツは同じだし、自分はステージングもカッコつけるのが好きだから、ヴィジュアル系はずっと続けられた。それで20歳くらいの時、Hatch(MUSIC FOR MUSIC所属クリエイター、山本隼人)くんと出会うんです。Hatchくんはヴィジュアル系では珍しいギター&ボーカルだった。なのに、サポートベースをやるということで観に行きました。ギター&ボーカルなのに、ベースもめちゃくちゃウマくて天才なのかなって。そこからHatchくんとよく話すようになって、一緒に組むことになったのが、SRASH NOTES GARDEN。

ーーSRASH NOTES GARDENはヴィジュアル系にあまりいないブリティッシュなギターロックバンドでしたよね。

Saya:
Hatchくんがそっちの人だった。俺もブリティッシュというか、ブリティッシュから来た邦ロックのギターが好きだったから。当時はまだ珍しかったですよね、ギターがチャカチャカしてるバンド。俺は凛として時雨とか9mm(parabellum bullet)が好きだったし、Hatchくんがバンプ(BUMP OF CHICKEN)とか好きだからブリティッシュなヴィジュアル系になれたのかなって。

ーー“ブリティッシュなギターロックをやってるヴィジュアル系がいる”と聞いて、SRASH観に行ったんですよ、AREAに。確かアルルカンと対バンで。

Saya:
アルルカンがAREAでやってたのって、初期だなぁ(笑)。

ーーヴィジュアル系では珍しく、テレキャスター弾いていたのをよく覚えています。

Saya:
あ、そのテレキャスありますよ、めちゃくちゃシール貼ってるけど。

Fender Japan Telecaster 60s type
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Fender Japan Telecaster 60s type
ボディには多数のステッカーが貼られている。
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ボディには多数のステッカーが貼られている。

Saya:
(貼ってあるシールを差しながら)この、きあとさんっていう人の絵が好きで。自分のことも書いてもらってるんですけど。Twitterのアイコンもそうです。きあとさんがまだフォロワー800人くらいのネット絵師時代に絵が可愛いなと思って、個展に行って話したんですよ。今や、きあとさんもYunomiくんと一緒で大出世してます。Hatchくんも、SRASH組んだ時に“これからはDTMやった方がいいいから”って、最初は俺が教えたんですけど、今や俺より売れっ子作家になっちゃった(笑)。

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